犬の軟部組織肉腫(Soft Tissue Sarcoma:STS)について
疾患の位置づけ
軟部組織肉腫(STS)は、皮膚・皮下の結合組織(線維組織、筋膜、脂肪、神経周囲組織など)に由来する悪性腫瘍の総称です。
「肉腫」という名称ですが、転移性よりも局所浸潤性が問題になる腫瘍という点が大きな特徴です。
つまりこの腫瘍は
- 遠隔転移は比較的少ない
- 同じ場所での再発(局所再発)が治療上の最大の問題
という性質を持っています。
腫瘍の生物学的特徴
STSは多くの場合、ゆっくり大きくなる膨張性腫瘤として発生しますが、
見た目以上に周囲の正常組織へ細かく浸潤していることがあります。
特に重要なのが「偽被膜」という構造です。
- 腫瘍の周囲に膜のような構造ができることがあります
- これは本当の被膜ではなく、腫瘍に押しのけられた正常組織です
- この中や外側に腫瘍細胞が残っていることが多いため、見た目だけで「きれいに取れた」と判断すると再発の原因になります
悪性度(グレード)について
病理検査では、STSはグレード(悪性度)I~IIIに分類されます。
これは以下の要素から決まります。
- 腫瘍細胞の分化度
- 細胞分裂(有糸分裂)の多さ
- 腫瘍内部の壊死の割合
グレードの意味
- グレードI:再発・転移ともに低リスク
- グレードII:中等度の再発・転移リスク
- グレードIII:局所再発しやすい、転移のリスクも明確に高い
治療方針と予後を決めるうえで最も重要な因子の一つです。
治療の基本的な考え方
最大の治療目標
局所制御(その場所で再発させないこと)
この目的のため、外科手術が治療の中心になります。
外科手術について
推奨される手術方法
- 腫瘍の周囲を 2~3cm以上
- 深い方向は 筋膜を1枚含めて 切除
これは「安全域(マージン)」を十分に取るためです。
なぜ初回手術が重要なのか
- 初回手術で完全切除できた場合、再発率は非常に低く、長期生存が期待できます
- 初回で不完全だった場合、再発しやすく、再手術はより侵襲的になります。また、放射線治療など追加治療が必要になることが多いです。
最初の手術が、その後の治療の難易度と予後を決定します
放射線治療の役割
放射線治療は、手術の代わりではなく補助的な治療です。
主な適応
- 腫瘍が完全に取りきれなかった場合
- 解剖学的に広範切除が困難な部位
- 四肢の腫瘍で、切断を避けたい場合
効果
- 局所再発率を下げる効果が確認されています
- 特に「顕微鏡レベルの取り残し」に有効です
転移のリスク
STSは一般的に転移しにくい腫瘍です。
- 全体の転移率:およそ0~30%
- リスクが高くなる条件
- グレードIII
- 細胞分裂が非常に活発
- 一部の組織型
特に重要な点として、肘や膝より下の四肢に発生したSTSでは、転移は非常にまれです。
予後(寿命への影響)
- 完全切除できた場合、多くの犬は腫瘍とは無関係の寿命を全うします
- 不完全切除・再発の場合、治療が難しくなり、生活の質や寿命に影響することがあります
実際には、治療後に腫瘍が原因で亡くならない犬の方が多数派です。
再発とフォローアップ
STSの再発は、術後数ヶ月〜1年以上経過してから起こることもあります。
そのため、短期だけでなく長期的な触診や画像検査による定期的な経過観察が不可欠です。
それでは当院で手術を行なった患者さんをご紹介します。
14才、小型犬、左大腿部の内側に6cmの自壊を伴う腫瘤を主訴に当院を受診されました。細胞診では間葉系腫瘍がみられており、軟部組織肉腫を強く疑いました。
血液検査、胸部レントゲン検査、腹部超音波検査では麻酔のリスクや転移の所見は見られなかったため手術を行いました。


そのまま直接縫合を試みましたが、強い張力がかかり術後離開の可能性がありましたので、浅後腹壁動静脈を使用した軸上皮弁を用いて術創の閉鎖を行いました。


術後の病理組織検査では、軟部組織肉腫、グレード2、完全切除と診断されました。患者さんは術後良好に経過し、今のところ再発も見られていません。
まとめ
- STSは「転移より局所再発が問題になる腫瘍」
- 最初の手術で十分な範囲を切除できるかが最重要
- グレードが高いほど慎重な治療と経過観察が必要
- 適切に治療すれば、長期生存が十分に期待できる腫瘍
参考:再発のデータ
初回手術が十分だった場合(広範切除)
- 再発率:0~5%程度
- 多くの犬が再発せずに経過
取りきれなかった場合(不完全切除)
- 再発率:20~30%以上
- 悪性度が高い場合はさらに上昇
不完全切除+放射線治療
- 再発率:15~30%前後
- 「再発リスクを下げる」ことはできるが、ゼロにはならない
最初の手術でどこまで切れたかが、再発率を大きく左右します
グレード別の考え方
- グレードI
- 再発リスク:低い
- 転移リスク:非常に低い
- 完全切除できれば、ほぼ問題にならないことが多い
- グレードII
- 再発リスク:中等度
- 再発の有無は切除の完全性に強く依存
- グレードIII
- 再発リスク:高い
- 転移リスクも明確に上昇
- 再発・寿命の両方に注意が必要
医学的には、
グレードIIIの腫瘍は、低グレードの腫瘍と比べて再発リスクが約6倍
とされています。
参考:生存期間のデータ
完全切除(広範切除)ができた場合
- 生存期間中央値(MST):1300日以上(約3.5年以上)
- 多くの研究では半数以上が亡くならないため、MSTが「算出不能」とされています
- 実際には腫瘍以外の原因で寿命を迎える犬が多いです
年単位の生存率
- 1年生存率:80~94%
- 2年生存率:72~87%
- 3年生存率:61~81%
- 5年生存率:約75%
「ちゃんと取れれば、かなり長く生きられる腫瘍」です。
手術で取りきれなかった場合
- MST:約650日(約1.8年)
- 完全切除例と比べると、明らかに短くなります
不完全切除+放射線治療
- MST:約2200日(約6年)
- 「取りきれなかった分を放射線で補う」ことで完全切除に近い成績まで回復するケースが多い
グレード I
- MST:算出不能(多くが長期生存)
- 実質的に
👉 腫瘍で寿命が縮まらないことが多い
グレード II
- MST:数年単位
- 切除状態に強く依存
グレード III
- MST:1~2年程度
- 条件が悪いと数か月単位になることもある
再発が起こると…
- 腫瘍関連死のリスク:5倍
- 再発後の生存期間中央値
- 約250日(再発が原因で安楽死されたケース)
- 約 900日以上(他疾患で亡くなったケース)
再発を防ぐことが、生存期間を守る最大のポイントです。
